大地震から始まった令和6年ですが、ふと地震の歴史ってどうなってるんだろうと思って調べてみました。
こちらの住宅構造研究所というサイトの年表がわかりやすかったです。
https://www.homelabo.co.jp/select/history01.html
これを見ると、日本の存亡をかけた戦争中でも地震は容赦なく襲ってきていたんですね。しかも43,44,45,46年と毎年です。
逆に、1948年の福井から1995年の阪神淡路の間には、被害の大きい地震がありません。
それどころか、1948年~1983年までは地震の記載すらないことに驚きます。
これは日本が腑抜けた時期としてよく言われる高度経済成長期(1955年~1973年)がノーダメージだったということですし、もちろん原発を作った時期(予算提出が1954年、運転開始は1963年)もそうで、たまたま災害が何もなかったんですね。
と、「地震」「原発」という単語を見ただけで「擁護してもようございますやろ?」
てなもんで「電力が足りなくなるんダー」とか言いたくなる自称保守の人もいるでしょうが、今回はそんな小さい話じゃないです。むしろそうやってすぐイデオロギー的に反発する自称保守派は堕落しすぎという話になっていきますのでお待ち下さい。
いったん話を上記のサイトに戻すと、まず冒頭にこのように書かれていたのが興味深いです。
>明治時代まで伝統構法によって木造住宅は建てられていましたが、
>1891年に起きた濃尾地震で伝統構法で建てられていた住宅の被害が甚大であったため、
>西洋技術である筋かいを用いた洋風木造建築の普及を目指しました。
地震の脅威を見すえて伝統を改善していることがわかります。
建築方法などは、それこそ大昔から続いてきたものでしょうし、当時の日本人にとっては大切な伝統だったと思いますが、千年の伝統であっても地震の国・日本では無力であり、またそれを認めて、改善して、生活を保ち守ってきたのが日本人なんですね。
もし1891年(明治24年)に「長く続いてきたものを変えるな」と言う伝統構法固執派がいたら、地震のたびに今以上に家が壊れまくっていて、その伝統は因習になっていたのは想像に難くありません。
他にも、地球上の大地震の20%が日本で起きていると書かれています。その理由は、プレートがぶつかる場所の上だからと、火山活動とのことです。
ちなみにこのプレートテクトニクスの理論が完成したのは1968年です。かなり最近で、逆に言えばそれ以前は地震のメカニズムをはっきりとはわかっていなかったということですね。プレートが動いているから、あのエベレストも毎年数cm高くなっているそうです。日本列島の性質も見えてくるものがあります。
日本では毎年約1.5回大地震が発生しているともあります。今となってはそうかもと感じますが、それでも1948年~1983年は直接大きな被害が出ることはなかったのだから、幸運にもほどがある時代です。
それらを受けて思うのが、僕は公論イベント参加のために飛行機を使うことがありますが、窓から日本列島を見るとほとんど山なんですよね。
地図を見ているだけだと、「□□県て意外と広いな」とか思ったりしますが、結局日本はほとんどが山です。
そして山ばかりということは、多くの人は麓の平地に住むことになるので、必然的に津波の被害にも遭いやすいということになります。
さらに昔は川も氾濫しまくりで、洪水のたびに平地は湖のようになっていたそうです。それもやっぱり国土が山だらけのために、川が急勾配で流れも速くなるためです。今日の治水は人々の屍の上に成り立っています。
このような場所に3万年前から住んでいれば、そりゃあ不安を感じやすい臆病な遺伝子も刻まれるだろうなと思います。
人間が大規模に殺し合うようになったのは、たかだかここ2000年の話なので、時間の桁が違いますし、そもそも日本にはシナや白人のような大虐殺の歴史もありません。
日本という国はそういう自然災害の国だということを今も全くわかってない人は多く、Xには元旦から地震が起きたことについて「天皇は本当に祈っているのか」などと言っている輩が湧いて出ていました。
https://x.com/eurudk/status/1742176304454324409
https://x.com/malky_malky/status/1742147238510625232
Y染色怠子も似たようなことをほざいています。
https://x.com/takeuchikumiffy/status/1744237141490852273
言うまでもありませんが、これらはあらゆる意味でのぼせ上がった考え方です。
天皇陛下は「国平かに、民安かれ」と祈られているのに、この人たちはエラソーに「ちゃんと祈りやがれ」と言ってるわけですね。何様のつもりかと言いたくなりますが、”国民主権による国民様”なんですよね。
明らかに「やっていただいている」ではなく、「やらせている」の感覚であって、『天皇論 平成29年』の435ページ目にある国民主権の説明を聞いた小学生よしりんの「ようするに天皇って我々の意のままか!我々の方が偉いんだな!」と同じです。イイトシして恥ずかしくないんでしょうか。
もはや左翼(極左)になっているということもあるのですが、そもそもの発想もおかしいのです。
「祭祀王なんだから自然を鎮めろ」てなことを言うなんて、頭がおかしい以外の何物でもないでしょう。
『国防論』の31ページ目にはこうあります。
古代からずっと続く自然災害こそが、日本人にとって最大の侵略者だった。
地震 津波 台風 河川の氾濫洪水 土砂崩れ…
日本人に恩恵をもたらす自然そのものが日本人を襲撃する敵となる。
日本の自然はどうしようもなく暴れるときがあるからこそ、畏れて、せめて祈って静まっていただこうというのが祭祀でしょう。
そしてそういう感覚がアニミズムや八百万の神の考え方になったのでしょうし、ひいては日本人の国民性にも繋がっていっているのだと思います。
災害続きの中では、「なぜ地震なんか起こるんだ」「なぜこんな目に…」と思っている方もいるかと思いますが、「太古の昔からそういう国だから」としか言いようがありません。
戦争には敵がいる。憎むべき敵がいる。
~中略~
だが、地震や津波という天災は、憎むべき対象がない。(『国防論』より)
こうして考えると、中国が将来日本国民に国防意識がないのをいいことに占領しても、こんな災害ばっかりの国では苦労が絶えないだろうなと思ってしまいます。
このような過酷な国土であることを踏まえると、「男じゃないと嫌だ」とか言って皇統を危機に追いやる男系派、原発推進派、反左翼、経団連あたりとべったりなだけの自称保守は、自然をナメきっているとしか思えません。
それでは日本を理解することも、保ち守る気もない、ニセの保守ということになります。
そんな紛い物をいつまでも「保守派」と呼ぶのはいい加減にやめてもらいたいです。国家百年の計どころか、千年万年の単位の列島の宿命を全然わかっていないのに。
たとえば、ゴー宣読者には媚米保守として有名な田久保忠衛氏が先日亡くなりましたが、それを伝える記事の人物紹介を眺めていて、悪く言うとかでなく、ただ素朴に、この人何も成し遂げたものがないんだな・・・と思ってしまいました。
今週のライジングVol.491で言うなら、何が何でもアメリカ追従だと主張して、積み木を構築していた人という印象です。まあ何かを作り上げる気も能力もないから、日本会議という運動グループをやってたんでしょうし、それは今の自称保守言論人も同じですが。
ちなみに日本会議は生前退位のご意向に逆らった逆賊の集団です。最初から保守でも何でもありません。
そんな自称保守が戻りたくてしかたない夢を見てる高度経済成長期というのは、先に述べたとおり大地震はなく、冷戦時代だったので直接的な戦争もありませんでした。
平和という視点では奇跡で良かったですねという感じですが、けれどもそういう時代はもう終わっています。災害にしても戦争にしてもなかったのはたまたま運が良かっただけなので。過ぎ去った時代にいつまでも見とれてるのは止めてもらいたいですし、そういう時代に保守を自称して人生逃げ切ったとして、それって結局何だったんでしょうか?命は手段どころか、生まれてしまったから仕方なくただ生きた人にしか見えませんけど。
明治24年 に伝統構法を止めたように、国土の性質も歴史も未来も踏まえて国を守るのは当たり前ですし、前にも書きましたが動的平衡を取るのが保守です。
それでもしつこく「長く続いたものを変えないのが保守」とか言うのなら、まずその人自身が今すぐ西洋技術の家を捨てて、明治初期の伝統構法の木造住宅を建てて、そこから言うべきでしょう。洋服も脱ぎ捨てて和服を着てください。日本古来のもの以外は食べないでください。まさかごく最近まで存在しなかったインターネットで意見表明とかしてないでしょうね?
まあそういうバカすぎる男系固執は放っておくとして、右派も左派も、その区分けに囚われたしょぼい知識人も、自然災害や戦争を含めたトータルの国家観・保守思想が欠如している時点で、何の役にも立たないのは確実だし、話を聞く気もしないのです
【トッキーコメント】
それにしても、日本の歴史上例外的な、長期にわたって大規模震災のなかった期間の中に戦後の高度経済成長期がスッポリ入るという指摘には驚きました。
それが幸だったのか不幸だったのかは単純に判断できませんが、もうそんなラッキーな時期はないということ、そしてその自覚をせずに平和ボケしていたら、次に来る不幸の規模は桁違いになるということは確実に言えそうです。